2010年09月06日

大正十三年九月六日、戦艦安芸海底に没す

 阪神電車鳴尾駅西側踏切を43号線側から渡ると、西手に木立が見える。鎮守の森があることが分かる。そこには鳴尾・八幡神社がある。本殿へと続く長い石畳を歩いて行くと、左手に慰霊塔がある。慰霊塔すぐそばに「慰霊塔由来」の説明板がある。

2010_0905_鳴尾・八幡神社慰霊塔.JPG

 その説明板には次のように書かれてある(改行せずに示す)。


慰霊塔由来

 日清・日露及び太平洋戦争における鳴尾村関係・戦没者、五百有余柱の英霊を此処に祀る。
 尚、塔の尖塔部の砲身は明治四十四年広島呉工廠において・カーチス式タービンを最初に搭載した戦艦安芸の砲身です。
 戦艦安芸は全長百四十・ニメートルに、出力二万五千馬力、速力二十ノット、主砲は三十センチ砲四門、魚雷発射管五門、片舷三十センチ砲四門、二十五センチ砲六門を装備していた。
 戦艦安芸は大正十二年ワシントン軍縮条約の結果、標的艦となり、砲塔等撤去後翌、十三年九月六日、戦艦長門及び陸奥の研究射撃により、野島崎沖合において海底に没す。射撃時間十七分。

2010_0905_鳴尾・八幡神社慰霊塔由来.JPG 


 砲身を持つ慰霊塔は初めて目にした。こんなところによく残っていたものだと驚かざるをえない。日清・日露戦争の英霊をお祀りするために砲身が使われたのなら分かるが、太平洋戦争の英霊もお祀りするのにも砲身が使われたのに妙な違和感を感じるからだ。
 妙な違和感とは、戦艦安芸から撤去された砲身がよく残っていたということにある。金属類等回収令で砲身が供出されてもおかしくないし、他の砲身は一体どうなってしまったのかが気になるからだ。この砲身は一体どういういきさつで大事に隠し持つことができたのだろうか。

 戦艦安芸が軍縮の標的とされたのは最新のカーチス式タービンを最初に搭載したことにより、それまでの戦艦の保有比率を保てなくなるために欧米諸国が槍玉にあげたものだろうか。

 大正十三年九月六日、戦艦安芸は野島崎沖合に海底に没した。


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posted by einfonikoniko at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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