2009年06月30日

指揮者小沢征爾の父はコピーライターだった

 『満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』講談社 太田尚樹

 今回もこの本より、個人的興味や関心から気になる箇所を取り上げてみることにする。

 194ページに次のような記述がある。
 「この「五族協和」「王道楽土」の二つの謳い文句は、オーケストラの指揮者小沢征爾の父、開作の造語だそうである。
 そのころ、奉天(現瀋陽)に居を構えていた小沢開作の本業は歯科医だが、名前からしても満州にピッタリするような男だった。事実、相当の国士で、関東軍の参謀連中とも交流があり、とくに、板垣、石原と親しくしていた。
 この二人が小沢開作の作った「五族協和」「王道楽土」の文句を気に入り、「うん、これで行こうじゃないか」ということになり、内地でも宣伝され、広く知られるようになった。今ならさしずめ、「流行語大賞」間違いなしというところだが、この話にはもう一つ落ちが付く。
 息子の小沢征爾は1935年(昭和10年)、奉天生まれだから、満州事変から四年後のことになるが、ちょうど開作が板垣、石原と居合わせたところに、男児誕生の知らせが届いた。
 そこでハタと膝を叩いた開作は、目の前のふたりに向かって「あなた方から一字ずつを貰い受けますよ」ということで、征爾と名付けたのだそうである。」

 世界的な名指揮者小沢征爾の父、小沢開作は歯科医であって、コピーライターではなかったが、キャッチコピーに長けた人であることには違いはないだろう。
 
 「五族協和」の「五族」とは、日本人、満州人、漢人、朝鮮人、蒙古人の五族のことだが、実際には満州国建国を記念して設立された建国大学には、白系ロシア人もいて、六民族そろって寄宿舎生活をしている(p.362)ので、「五族協和」ではなく「六族協和」なのかもしれないが、奇数が好きで桜や梅を好む日本人には「六」より「五」の方が通りが良かったのだろう。

 ハルピンは帝政ロシアの前線基地であり、ロシア正教聖堂が立ち並ぶ町で、横浜正金銀行や香港上海銀行、ナショナル・バンク・オブ・ニューヨークなどの国際的な金融機関もあり、ロシア人が闊歩していた。

 小沢征爾が一字ずつを貰い受けたのは、板垣征四郎と石原莞爾からだ。
 
 昭和6年9月18日、関東軍による奉天(現瀋陽)郊外柳条湖付近の満鉄線を爆破した事件(満州事変)が起こるが、その首謀者が板垣征四郎と石原莞爾だ。

 板垣征四郎と石原莞爾も仙台陸軍地方幼年学校で学び、板垣征四郎は第一次近衛内閣で陸相に就任し、平沼内閣でも陸相を務めるが、戦後東京裁判にて死刑判決を受け、靖国神社に合祀されている。
 石原莞爾は関東軍参謀長東条英機と対立し、左遷され、その後現役を退き、昭和16年立命館大学講師となる。

甘粕事件:大杉栄と甘粕正彦との不思議な縁、をご覧ください


満州裏史―甘粕正彦と岸信介が背負ったもの

満州裏史―甘粕正彦と岸信介が背負ったもの

  • 作者: 太田 尚樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/11
  • メディア: 単行本





posted by einfonikoniko at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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